大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和25年(れ)1325号 判決

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人青木英一の上告趣意(後記)第一点について、

所得税法六三条は、収税官吏は、所得税に関する調査について必要があるときは、納税義務者その他同条各号所定の者に質問し又はその者の事業に関する帳簿書類その他の物件を検査することができると規定しているから、所得税の調査等に関する職務を担当する収税官吏は、所得調査という行政目的を達成するためには、同条所定の者に質問し、又は同条所定の物件を検査する権能を法律上認められているものといわなければならない。所得税法施行規則六三条は収税官吏は所得税法六三条の規定により帳簿書類その他の物件を検査するときは、大蔵大臣の定める検査章を携帯しなければならないと規定しているが、この規定は、専ら、物件検査の性質上、相手方の自由及び権利に及ぼす影響の少なからざるを顧慮し、収税官吏が右の検査を為すにあたり、自らの判断により又は相手方の要求があるときは、右検査章を相手方に呈示してその権限あるものであることを証することによって、相手方の危惧の念を除去し、検査の円滑な施行を図るため、特に検査章の携帯を命じたものであって、同条は単なる訓示規定と解すべきではなく、殊に相手方が検査章の呈示を求めたのに対し、収税官吏が之を携帯せず又は携帯するも呈示しなかった場合には、相手方はその検査を拒む正当の理由があるものと認むべきである。しかし、さればといって、収税官吏の前記検査権は右検査章の携帯によって初めて賦与されるものでないことは前記のとおりであるから、相手方が何等検査章の呈示を求めていないのに収税官吏において偶々これを携帯していなかったからといって直ちに収税官吏の検査行為をその権限外の行為であると解すべきではない。即ち、所得税に関する調査等をする職務を有する収税官吏が所得調査のため所得税法六三条により同条所定の物件を検査するにあたって、検査章を携帯していなかったとしても、その一事を以て、右収税官吏の検査行為を公務の執行でないということはできない。従って、之に対して暴行又は脅迫を加えたときは公務執行妨害罪に該当するものといわなければならない。

これを本件について見るに、原判決の確定したところによると、収税官吏たる判示大蔵事務官は判示の如き行政上の目的を以って、納税義務者たる被告人に面接の上、その身分及び目的を告げ、身分証明書を示して判示退職者調書の検査をしようとしてその提出を求めたが、被告人が之に応じなかったというのであるが、その際被告人は右大蔵事務官に対して、検査章の呈示を求めたとか、あるいは同事務官が検査章を携帯していなかったことを事由として前記調書の提出要求に応じなかったというような事実は、原審において何ら主張されていないのであって、従って原判決も亦かかる事実を認定していないばかりでなく(記録を精査しても、かかる事実を認めるに足る資料はない)、右大蔵事務官がなおも被告人に対し再三同調書の提出方を求めたところ、被告人が判示の如き言動に出て同事務官を脅迫したというのであるから、右大蔵事務官の判示所為は所論の如くその職務権限を逸脱した場合であるということはできないのであって、従って判示被告人の行為は公務執行妨害罪を構成するものといわなければならない。又論旨は被告人が原判示の如き脅迫をしたと認めるべき証拠が十分でないと主張するけれども、原判決挙示の証拠によれば、所論脅迫の事実を認めるに十分である。従って、原判決が判示事実を認定して、被告人を公務執行妨害罪に問擬したことは相当であって、論旨はその理由がない。

同第二点について、

収税官吏が所得税法六三条により、質問検査をするにあたり之に対して暴行脅迫を加えてその職務の執行を妨げた場合には、公務執行妨害罪のみが成立するものと解するを相当とするばかりでなく、本件起訴状記載の公訴事実の第一にも被告人は『(前略)収税官吏田中治雄が前記組合従業員の所得税に関する調査をなす目的を以て右組合従業員退職者調書の検査をしようとしたのに対し同人を階段から突き落すべく両手を以て同人の身体を背後より圧迫して暴行を加え更に「帰れ、帰らぬと殴るぞ」と申向けて何時たりとも同人の身体に危害を加へ兼ねない様な態度を示して之を脅迫して右退職者調書の検査を拒み、以て右田中治雄の職務の執行を妨害し』とあって公務執行妨害罪の外に所得税法違反の別罪が成立するものとして、両者を一所為数法の関係において審判の請求をしたものとは到底認めることができない。そして、右収税官吏が当時検査章を携帯していたかどうかということは本件公務執行妨害罪の成否に消長を及ぼすものでないことは前段に説示したとおりであるから、所論はいづれもその前提において失当であり、論旨はその理由がない。

同第三点は量刑不当の主張であって、刑訴応急措置法一三条二項により上告適法の理由とならない。

よって、刑訴施行法二条、旧刑訴四四六条により、全裁判官一致の意見を以って、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 霜山精一 裁判官 栗山 茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例